黒石焼そばの誕生

これであなたも黒石焼そば通

 

く黒石焼そばの始まりは半世紀以上前にさかのぼる。

黒石市には現在3件の製麺所があり、もっとも古いのは大正5年の創業だ。

創業時は商店を営んでいたという。

戦後まもなく製粉業を始め、そうめん、ひやむぎ、うどん、平麺といった乾麺の製造を開始した。

食糧事情が良くなかった頃、保存できる乾麺は高価なものであった。

もちろん当時は冷蔵庫などなく現在のような生麺もなく、この乾麺をゆで、各家庭では食べていた。

現在の焼そば麺となっている中華麺が普及したのは戦後少したってからのことである。

昭和10年ごろ次の製麺所が誕生し、津軽でとれた米と野菜を南部地方に持参し、そば粉と交換して持ち帰り

、そばを作っていた。

中華そばなどない時代、麺といえば乾燥したそばか、うどんでした。

この乾燥したうどんは稲庭うどんのような太い麺だった。

当時はソースもなく、乾燥したうどんをゆでて醤油で炒めた物を黒石の人々は焼そばといって食べていたという。

<太めの乾燥うどんをゆで、醤油で炒めた物が黒石焼そばのルーツなのです>

ならばなぜ黒石焼そばの麺は太くて平らなのか?

戦後、中国から支那そばが伝わり、当時の製麺所が黒石在住の中国人から中華麺の作り方を教わったという。

このときラーメンの生地はできたが他の地方で食べられている支那そばのような切り刃はない。

切り刃は高価なもので簡単には手に入れれず、そこで乾燥用の太い切り刃をそのまま使い、生地を切っていった。

これが意外とソースに絡みうまかった。

こうして黒石焼そばの特徴である太平麺が誕生し今もそのままの形で食べられている。

What's New

ここには全ページに

共通の項目が表示されます。

 

<利用例>

What's New!

 

<利用例>

お問合わせはこちらから